音楽:Oshin / DIIVと、音楽を聴くということ。

夢幻泡影。仏教用語とは凄いもので僕たちの人生は儚いということをかくも美しく表現する。 

言語の役割とは、突き詰めれば「頭乃至はカラダで認知した個別的なモノを一般的に認識されるレベルに昇華させること」にあると思う。そして認知することは大きく分けて「気持ちなどの感情及び感覚」「当該の事象にまつわる理屈」の2つである。

蓋し音楽を聴くという行為は、上述のところの前者、つまり感情的・感覚的に認知されなければならない。周辺に溢れる音楽評の多くで様々な人が宣う能弁が書き連ねられていて、それらにどこか高尚さを、ともすれば憧憬すらも感じてしまうが故に、僕らは音楽を聴くにあたって何か大層なことを語れなければいけないような感覚に襲われるが、そんなものは決して本来的ではない。感じることが先、大言はあくまでそれを言語化したもの。言語的洗練は良いことだがそれが聴くことの前にでてはならない。

  

▼Oshin / DIIV

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ところで、女の子に知的って言われたい。

やはり人たるもの賢く見られるに越したことはない。馬鹿っぽく思われたいという感情も無くはないがそれは自分が真に馬鹿ではないという自負心や馬鹿と思われることに予防線を張りたい心故だと思う。かく言う僕もそう。でないと言ってる端から能弁垂れる序文を書くかね。

でも今回のDIIV評を書くにあたってはもう一つ思いがあって。それが聴後?のなんとも言えない深みある浮遊感をなんとか言語化したかったということ。前置きが長くなったけど、始めます。

 

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USのインディーバンドDIIV。USだけどUKバンドをルーツに感じる楽曲を作ってくる彼ら。フロントマンのスミスは元Beach fossilsのメンバー。 

 

https://youtu.be/sPcCWiFa5kA

これがビーチフォッシルズ。

 

DIIVの "Oshin (Subsume)" を @AppleMusic で聴こう。
https://itun.es/jp/DRh9J?i=603224855

こっちがダイブ。

 

ローファイ(音質が今一つな感じのこと)なサウンドが共通しているし、成る程といったところである。beach fossilsはbeachという単語からは意外ですらある高温多湿感と曇天の闇夜感があるが、その点においてはDIIVも大きく違いないように思う。どちらかというと部屋に篭るなど明るくない過ごし方をしているときに聴きたい楽曲たちだ。

実はこの1st、2012年に発売してつい去年まで廃盤だったらしい。2012年といえば僕は日課のオナニーをする余裕もないほど忙しくあまり音楽を開拓していない頃なので全く知らなかったのだが、既に粒の荒い宝石を見るような正の驚きを感じる。当時狂ったように鑑賞していた麻倉憂を見たときも性の驚きを感じていたが…。

あ、あと我らがスミス御大、イケメンである。お洒落で雰囲気も良い。総柄のボトムカッコいいね。ゆとりあるサイズ感のシャツもクール。

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ではここで改めてDIIVの楽曲を。

http://www.dmm.co.jp/digital/videoa/-/detail/=/cid=wanz00502/?i3_ref=list&i3_ord=4 

 

間違えた。

DIIVの「Oshin (Bonus Track Version)」を @AppleMusic で聴こう。
https://itun.es/jp/DRh9J

 

こっち。

バーブやエコーを用いることで奥行きある世界をイメージさせるような楽曲群はThe smithsとか好きなのかなとも思わせる雰囲気も内包している。そしてこの世界観はまさに夢幻というに相応しい。あと、こんなことを書いたらアレックターナーにタバコを押し付けられそうだけども、個人的には曲名が無駄に長くないことも安直でない世界観構築を魅せてくれているようで実にクールである。解釈の余地を残す短い曲名こそクールだよな、あっタバコ熱い。

 

DIIVの "Doused" を @AppleMusic で聴こう。
https://itun.es/jp/DRh9J?i=603224856

特に圧倒されるのはこの曲。ギターもさながら水中で手を大きくストロークしていくかのような鈍い切り裂きを感じるし、ベースの重たさも水泡のように心地よく耳に響く。そのベースが小気味よく鳴り響き始まる楽曲のテンポは決して遅くはないが、それにもかかわらず光差し込まない水中深くを、自分のオンステージとでも言わんばかりに独り占めし楽しんでいるかのような余裕すらも感じさせる。それでいて演奏の終わりは冗長な余韻を持ち込ませない無駄のないアウトロ。

正直この曲を聴いてあまりピンとこないとDIIVの楽曲には総じてピンとこないように思う。最終的には音楽を聴く聴かないなんてのは自分の嗜好性の問題なので僕がとやかく言うことではないけど、大衆邦楽市場どっぷりだとあまり出会わないタイプのこの楽曲、大衆音楽における一流派だと心得て聞いてほしい。

  

ところでこのOshinというタイトルらOceanから来ているらしい。dousedもdouse=水をかける/水に突っ込むという意味らしく、そうすると先の音楽評にもなんだか説得力がある気がするし、これを読んでるあなた独自の音楽評もこの情報に左右されると思う。

でもその瞬間にそれは感情や感覚を言語化した音楽の本来的(と少なくとも僕が思う)聴き方からは逸脱しているように思う。感情・感覚的に聞くというのは、余計な情報を最大限排除して純粋に聴くことのように思う。

ブログを書いていながら壮大な自己矛盾だけど、聴くときはこういった二次情報に振り回されず、あるがままの心で聴いてほしいなと思うのでありました。

 

 

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Apple Musicでプレイリスト作ってます。こちらも是非。

 

①2016年上半期楽曲を中心に、深淵をテーマに光と陰が広がるall洋楽の作品。

ぼくの「2016-06」を @AppleMusic で聴こう。
https://itunes.apple.com/jp/playlist/2016-06/idpl.b648346818eb4767a941aeee1812065d

 

②2016年上半期楽曲を中心に、ジャンバラヤをテーマに「聴いて楽しい」を追究したall邦楽の作品。

ぼくの「2016-07」を @AppleMusic で聴こう。
https://itunes.apple.com/jp/playlist/2016-07/idpl.141fd48fc0ee4b9ab5887dabc99907fd