雑記:SW中に観たり聴いたりしたモノについて②

月末、それも期末ということで、忘れないうちに。今度は映画と本。

 

・シンゴジラ(2016)

今更ではあるが、鑑賞してきた。20代という肉体的余力と頭脳的余力の塩梅が1番ちょうど良い時期に、お金がない節約中だなどという醜悪なエクスキューズを立てて映画館に赴かなかったことを心から恥じたい。派手なアクションに興奮する純然たるエンターテイメントとしても、示唆に富む描写多い客観的な文化芸術としても本当に申し分なく、且つこの二側面のバランスが素晴らしい良作であった。

基本的に物語というのは、主人公あるいはそうでなくとも登場人物が、作中で如何に位置付けられどう眼前の世界に対峙するかというのが基本的なエートスであり、それを鑑賞する我々は各々でいずれかの人物に自己投影や感情移入をして楽しむ、という消費のされ方をする。そうした自己投影や感情移入なく良し悪しを楽しむことも勿論可能だが、その時の感想は「好きかどうかは置いといて良い」というどこか評論家気取りの感想になってしまうように思う。

ところが僕にとってのシンゴジラはこの前提とは異なった作品であった。例えば嶋田が海外主導の意思決定に涙する場面(ネタバレになって申し訳ない)などは太平洋戦争を想起させることもあって「日本人として」感情移入出来るところではあるが、自分が日常において制御できない外生変数によって振り回されていることを思い出して「個人として」感情移入するか、となるとスケールの大きさや外生性の違い故なのか少し違和感を覚える。

これに限らず、自己投影をするような人及びポイントというのが、僕個人にはあまり見当たらなかったのである。群像劇であったとしても登場人物や登場する組織にあたるスポットで心情は推して測れるのに、である。

この理由は、この映画が組織対共通敵の構図で成立しているからなのかなと思っている。一般的に見て人間が環境や巨大な共通敵と向き合う作品自体は映画に限らず決して珍しいモノではないように思う。そしてこのような作品では、何であれ自分を飲み込まんばかりの大きな対象との対峙の中で自己を見つめ、それによって本質的に孤独であることの自覚や、異なれども手を取り合う仲間(ここでいう仲間とは必ずしも人ではないかもしれない)との触れ合いによる変化がある。それによって対峙に(一旦)カタがつき1つの作品が終わるという構造だ。つまりアプローチは何であれ、個の内的変遷が作品全体において避けては通れないテーマとなっているのだ。(ここら辺は後述の老人と海の感想で詳細に書きたい)

一方でシンゴジラは、官僚・政府・日本…と、一貫して組織集団が環境や外敵と(ゴジラ、環境汚染、諸外国)対峙するという構図であり、それを通して""自分たち""を認識するものだ。勿論意思決定などを見ると個々人の人間性は見え隠れしているが、それはあくまで部分でしかない。例えば登場人物同時に恋愛関係がないことなどを踏まえてもそうしたことは排除したかったのだろうと思える(事実庵野監督はその設定を拒否しているようである)。

それにもかかわらず、全体を通して大きな共感に身体を支配されたというのか、グッとくることばかりで、今までにない読後感であったというのは、たかだか20数年しか生きていない、文化教養偏差値の低い僕のキャパシティをはるかに超えるものだったということだろう。まだ世界には面白いものが沢山溢れているのだろうなとも思える、本当に自分が今後生きていく上でも大きな意味を持つ一作であった。

余談だけど、庵野さんが関わっている作品(エヴァとかナウシカとか)をよく見ている人はより楽しめたのだろうなと思った。ゴジラであってゴジラじゃなさも少しく感じたというか。

 

名探偵コナン 沈黙の15分(2011)

逆にスゲェ。何故これを見たのだろうか。

 

ヤッターマン (2009)

B級映画は嫌いじゃないのでツッコミを入れながら楽しく鑑賞できた。B級映画という位置付けは違うかもしれないが、これはジャニーズ好きと深田恭子好きと一部の物見遊山な懐古厨しかターゲットにならないのでは?と思ったのでそうレッテル貼りさせてもらった。終始なにが言いたいのかしたいのかよく分からず、でも内容とその結末は想像がつく、というただの娯楽以外にどういう風に見ればよいのか全くわからないものたった。そもそものヤッターマンをよく知らないからなのかもしれないが、ヤッターマンを見た上で確かめようとは思わない。

追記:この作品今調べたら監督三池崇史とのことで。ジョジョは、個人的に4部は話も知ってて好きなので頑張ってほしいと思います(無関心)。

 

老人と海 / ヘミングウェイ

僕個人は恋愛以外の形で人間模様が描かれている作品が好きで、その中でも他者と接する中で過去の自分との異時点間比較をする作品が好きだ。そしてその中で孤独が厳然たる事実として横たわっているものだと最高に良い。

シンゴジラの事も踏まえてまとめると、物語というのは

①外面的に対峙する対象が、モノか人か

②自己認識方法が、時間か空間か

③最終的に、孤独であるか理解者がいるか

の3パターンである程度分類できると思っている。そして僕個人は

①どちらかというと人

②時間

③孤独である

である物語が好きだと思っていた。

この作品は登場人物は最小限に、常に剛毅で力強い自然と対峙している。人間模様が強いとどうしても内面的に弱い部分が描写されてともすれば貧弱さを感じてしまうが(勿論それが感情移入出来てよいのだが)、そうしたところはこの作品においては一切ない。孤独に戦う老人も、衰えの描写こそあるが常に勇敢だ。漫画の戦闘シーンにゾクゾクする感覚を、文学で味わえるというのは新鮮かつ心地よいものだった。

ネタバレであるが、さらに言うとそれでいて絶望が支配するシーンがあり、それがまた僕のような自己防衛のために自己卑下をするしみったれた人間にとってのカタルシス的作用を果たしている。これが良い。情緒は定期的に解放されねばならない。

これまた良い時期に良いものに出会えたと思える一作である。ただもっと年齢の低いうちに読んで然るべきだった気もする。それはツケが回ってきているせいなので甘んじて受け入れるしかないのだが。

 

・武器としての決断思考 / 瀧本哲史

2度目。改めて読んでも良書。高校生大学生の必読書にすべきではと思える。これを読んでいればゼミや授業、サークルなどの話し合いで不幸になる人間が半減するのでほと思えるほど。

感想としては今までやってきたことが間違いないなと再認識出来たことと、大枠だけおさえて細部まで出来ていないのが相変わらずだと気付かされたことの2点が挙げられる。なんかこの項目クソほど面白くないな。

 

・澁谷ルシファー / 花村萬月

主人公は明らかであるものの話の中での中心が入れ替わる群像劇といった感じ。ところどころの強引で御都合主義な展開が釈然としなくて、その違和感のせいであまり読後感もよくない。ただ形成された人格の歪み故か人との接し方、生き方に苦しむ登場人物たちにはどこかしら共感できるところがあった。多分多くの人がそうであろう。

 

・DAYS / 安田剛士

元々知ってて途中からマガジン本誌で追っていたが、思い立ってネカフェで全巻読破。マガジン漫画らしい作品だなと改めて思った。アニメの主人公描写がチープで軽薄だったのが残念。

 

・窓の魚 / 西加奈子

身勝手な僕たちは誰しもが窓の魚だ。
でもそんなもんだ。
傑作。

 

 

なんか思っていたより本を読んでなかった。スキマ時間にダラダラと読んでいたからかな。家にいる時間は音楽を聴き、本を読み、映画を鑑賞し、たまに勉強し、酒をかっ喰らう。クソみたいなというか正しくクソそのものな生き方をしているが、それが自分に生を実感させてくれている。おしまい。

 

 

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