早稲田大学が嫌いだという話

僕は早稲田大学が嫌いだ。

一応受験もしているが、高校生の頃からずっと嫌いだった。今でもそれは変わらない。

高田馬場のロータリーでゲロを撒き散らす早稲田大学が嫌いだ。

群れると所構わず都の西北を歌う早稲田大学が嫌いだ。

大した勉強をせずとも入れるルートがあるのに、自分たちは優秀であるという自意識をチラ見せする早稲田大学が嫌いだ。

勝手な日本男児像を振りかざし量の多いラーメンや丼を食べる早稲田大学が嫌いだ。

上智大学の浴衣デーに構内でビーチバレーをする早稲田大学が嫌いだ。

 

先日「テレビドラマ博覧会 テレビの見る夢」を見に早稲田大学に行ってきた。

まず地下鉄東西線早稲田駅でまるで自宅の玄関のように自由に振る舞う早稲田大学が嫌いだなと思った。

構内に入ると、空虚な中身を丸め込むような勢いで高校生を歓迎する、圧の強いオープンキャンパスをする早稲田大学が嫌いだなと思った。

キャンパスの通りで、応援団が都の西北のパフォーマンスを披露していて、早稲田大学のその自意識が嫌いだなと思った。

休暇スペースに入ると、そこで人目を気にせず叫ぶ早稲田大学志望のオープンキャンパス参加者が嫌いだなとと思った。

そしてそんな参加者に話しかける人間がいる早稲田大学が嫌いだなと思った。

 

会場に近づくと、歴史のある建物が見えた。そういうところが嫌いだなと思った。

中に入ると、著作権の事情がある中で苦心して集めたであろう多様な作品の多様な文物が展示されていた。

主催者の主観も交えつつ時系列にドラマが紹介されていた。

そこには、博覧会の作り手たちの哲学と、アウトプットの上での客観性の葛藤があるように思えた。

美意識や理念を、嘘偽りなく、かつ高次に洗練させ、それに従い生きることは本当に難しい。

 

博覧会を終えて外に出ると、パワータイプの雄たちは都の西北を歌うのをやめて片付けをしていた。

オープンキャンパスは終了間際で、学生たちはグッズを買ってもらおうとキャリーケースを引く男子高校生に声をかけていた。

賃貸のビラ配りをするお兄さんは僕を見たときは声をかけてこなかった。

トロピカーナを飲む女子高生が、帰ってする勉強の話をしていた。

丼特盛の定食屋は定休日だった。

東西線早稲田駅では、駅員さんが丁寧に乗車までの誘導をしていた。

誘導に従いホームに行くと、電車はたった今発車したようで、次の電車はしばらくこなさそうだった。

 

やはり僕は早稲田大学が嫌いだなと思った。