日記:休日を独りで過ごしている人

あまりの暑さに目が覚め、自分が二度寝をしていたことに気付いた。目の前のテレビにはさっきまでにじいろジーンが付いていたと思うのだが気のせいだろうか。時計を見ると11:00を回っている。「やれやれ。僕は大きくため息をついた。」と心の中のリトル村上春樹が言った(言っていない)。また休日を無駄にしてしまう。

 

 

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何年かぶりに煙草を吸った。度々苛烈からの逃避や人との接点作りのために煙草を吸ってみてはいたものの、元々特に好きなわけでもないから長続きはしなかった。

最後のキスからタバコのflavorがするからといってタバコのflavorから最後のキスが想起されるわけでもないし、タバコの煙が染みると苦くて黒く染まると感じることもなかった。歌詞というのは必ずしも普遍的な事象が書かれているわけではないらしい。

 

貴重な休みの今日、家族で街に繰り出す人もいるし、溜めてしまった家事をせっせとこなす人もいる。今日という1日を有意義に使いたいという人たちを見ているとふと自分だけが異空間にいるかのような、言いようのない隔てりを感じる。自分の半径1メートル以内だけが異常なまでに静謐で、手が届くとこにいる他人もどこか異世界の、それも自分は決して立ち入ることの出来ない世界の住人に見えてしまうような。別にこの自分だけが取り残されているような感覚が辛くて悲嘆に暮れることもないし 、逆に自分だけが特殊であると嬉しくなることもないが、ただ真っ直ぐさと言うものは時として人を不安にさせる。

 

こういう時、漠然とした鬱念を感じた時に人は煙草を吸うのかな、という仮説とも言えない思いがふと頭をよぎる。こんなんで良いのかなという思いも苦味で丸ごと飲み込んでしまうのだろうか、などと考える。ただ一方で、僕は僕だという思いも頭をよぎる。如何なる名状し難い感情たちとも真摯に向き合い、一つ一つを片付けなければならない、などと考える。

 

 

酔いに任せて買い込んだせいで家にあった煙草は全てゴミ袋に放り込みました。僕も、今更だけど勉強道具と読みかけの本をリュックに詰め込み家を飛び出します。退屈な毎日が急に輝き出したし、走り出した脚は止まりそうにありません。