2020年の振り返り

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2020年は本当にどうしようもない一年だった。

 

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自分でいうのもなんだけど、わりと人生の運が良い方だとは思う。

特に秀でた能力もない僕に対して、そんな人間でも人生を一番捲りやすい””勉強””をする環境をお金を惜しまず与えてくれる親に出会った。小中高と、今でも話を聴きたいと思える素晴らしい友人に出会った。

そんな中で、どうにか分不相応な大学に入ることができた。勉強を何もやる気がなくて、寝る以外は音楽を聴くしかしないような自分とも楽しく遊んでくれる友人に出会えた。僕の肥大化した葛藤を面白がってくれる友人にも出会えた。本、映画、服、ラジオ、野球、陸上…気になるカルチャーはなんでも話せる友人にも出会えた。

こんな生活をして留年したにも関わらず僕(それも大学から何も成長していない)を雇ってくれる会社にも出会った。今の自分でもそれなりにはやれるけど、絶妙にストレッチが必要な環境でもある会社に出会った。今思うと幻想のような環境の会社に出会った。

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2019年の10月、僕自身も今となってはいつなんで仲良くなったか分からない(けど大好きだという確信は揺るぎない)後輩と飲んだ。お互い、人生に葛藤している者同士。後輩はお酒を全然飲めない(たまには飲むのかもしれないが、僕は知らない)が、いつも朝まで付き合ってくれる。全然なんてことのない話なのに。でも?、夜明け前は人のやりきれなさが一番増大するらしいから、大体僕は一緒にいる時に泣くかはしゃいでるかどちらかをしてしまうんだけど、いつもそれも見守ってくれている。

その日ははしゃぐパターンだった。何の話だったかは定かではないが、レベルの高低はさておき日々葛藤し続けていながら前進しきれない現状なのは認めつつも、確かに在る反知性的な生が許せなくて、それに僕たちはどうしても中指を立てたなくなっていた。し、なんならそう在ろうとする自分たちをが好きかもしれなかった。

ただ、そうした話の先に見る朝日(なのか?)は最高に美しいもので、それを見ることは心象風景を見ることとすら思えていた。事実、あの日見た駒場キャンパスの朝焼け以上に美しい景色はいまだに見たことがない。

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元々僕は

・自分が尊ぶ美しさより大事なものなどない

・長生きするというのは本来的に目的になりえない

みたいな価値観がわりと強く、これ以上のことはないと思った時に自分は死ぬんだろうと思っている。そしてその意味で27clubに対する憧れみたいなものが強い。

けど、今年29になろうとしている僕は今日も生きている。生きていることを喜ばしいことだと思っている日の方が多いかもしれない。たとえその日その瞬間を全うし、あるいは悔しがっていても、なんだかんだで毎日をボチボチ楽しくやっていってる。

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2020年の3月、後輩とまた飲む機会があった。奇しくも僕が28歳になる誕生日の頃。

その日、後輩からたまたま小説をもらった。あえて話の詳細は書かないけど、なんというか石を積んだモノにしか見えない””光””があるんだなと思った。今思うと、その光は10月の朝焼けに同義だったんだろう。そして、この日10月と同じように立ち会った駒場キャンパスの朝焼けもそうだったんだろう。あの時、俺は確かに、石を積む者にこそたどり着ける、"”確かな””光があると思った。というか、そこに石を積んだ者がたどり着けないなんてことは絶対あってはならないと思った。加えて、恐らく初めて、そんな風に石を積んでる他者のためになら俺は本当に粉骨砕身できるとも思った。そんな奴の未来が暗黒であったらあかんやろ。そして俺はその日その瞬間石を積んできたんか?

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2020年の4月、緊急事態宣言があった。物理的な移動と食によって生活に変化を付けるタイプの僕にとってこれは予想通りに中々の負荷だった。確かに毎日もがき続けながらしのいでいるつもりではあったが、仕事は前に進まないし、1月から続けていた辛うじて毎日を全していると自認するためだけの作業みたいな勉強も全く手につかなくなった。

今となっては正直当時のことは覚えていないけど、僕は周りの情報を聞いてなんとかこの生活に対応しようとしていたんだろうなと思う。今まで以上にニュースを見たりあまり興味のなかった情報番組やワイドショー、友達の話を聴いたりして、大多数の人がそうしているように見えるそれと同じように振る舞ってみたいたんだろう。

これを機に「ステイホームの充実だ」などど移動の自由を奪われた嘆かわしい人間の涙ぐましい風説を安請け合いして"オウチゴハン"を充実させようとして飲食を楽しんだり、自分の可能性を拡げる良い機会だとかいうインチキプロレタリアートの風説に乗っかって自由な時間に働いたりしていた。

そんな中で、どうにか毎日の生活を回していたら何とかなるんだろうと思っていた。そして何とかやっている自分には、仕事以外は酒を飲んで寝るしかしないような自分とも働いてくれる同僚や僕の過剰な未来志向に付き合ってくれる上司もいる、と思っていた。

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気が付けば、オーバーペースで完全に仕事が出来なくなっていた。4-6月の仕事のパフォーマンスは最悪で、上司のMTGで僕の話題になっていた。飲酒量も、その飲酒量の元でもあろうストレスはとんでもなくて、お酒は吐くし髪は抜けた。ただでさえ中性脂肪は増えてるし前髪は後退しているのになんてことを…。7月は仕事をセーブさせてもらった。

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ところで、仕事の状況もあったのか、大学以来色んなものに触れた。

・あちこちオードリーは去年にも増して面白かった。今までずっと葛藤してきた若林がここにきて人間に興味があるなんて、シンプルに先をいかれた

・ドリームマッチは、面白いことを制限の中で最大限にアウトプットしようとする人間の魂を見た

・GI CLIMAXは普通に泣いた。限られた状況でその一瞬を削り出したプロレスが一番すげぇ

・ラジオは改めて最高の人生のおかずだった。ラジオでのキレ芸をしくじり先生に持ち込む澤部にコンテンツを楽しむ素晴らしさを再認識させられたし、さらばのタダバカは二度と聴かない。

・ニューヨークは2020年にもなって一軍二軍とか言ってて恥ずかしくないのかと思うけど、エレパレを見たときに彼らは自分の信じる道を行くと決めたんだと思わされて、どうにか分不相応な大学に入った自分を思い俯いた

・有吉の壁、こんなに優しい世界があるのかと思った。「大都会の敗北者安村昇剛」は今思い出しても泣いちゃうし、かもめんたるが活躍する世界戦が2020年にあるとは思わなかった

・ひなあいと、あざとくて…はいい番組だった。プレイヤー全員が目的に対してまっすぐでストイックだった

・火の丸相撲を久しぶりに読んだ。俺たちは自分の信じる道を行くしかない。何が正しいかなんてわからない、でも行くしかない。たとえ返せない覆水がそこにあっても…

アイシールド21も久しぶりに読んだ。俺たちは戦場に立ったら今あるもので戦っていくしかない。けど、今あるもので戦うことと今あるカードを増やすことは別問題で、そして両立するなと再認識てきた

・テイラーの新譜はよかった、この世界にこんなまっすぐな歌手を原点のフォークで歌えるのか…

・音楽ではサニーデイもよかった。大ベテランのいつまでも新鮮な歌詞と瑞々しい音楽に触れると足を止めてる場合じゃないなと思えた

石田ゆり子のインスタ配信は一切何も生まなかったけど、これ以上なくシンプルに、そして最上に幸せになった

・陸上の日本選手権もよかった。たかだか20歳前後の人間がお金使って長々走ってるだけと言われればそれまでだけど、それを分かっていてもそこに立つ努力をし続け、当然(のように)最後まで泣き言を言わない姿に悔しくなった

新谷仁美がTWO LAPSから積水化学所属になって実業団を走るとき「看板を背負うのは日の丸と一緒、プロとして走る」と言っててマジで辛くなった

津野米咲の音楽はいまだに聴けない

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10年代後半には並行世界への憧憬を終え、絞り出す情動のアウトプットが再注目されたされたように思う。そして、そのアウトプットができる人とは、これまで石を積んできた人たち、もう少し言うとこれまでも走り続けてきた、周囲に甘えず準備をしてきた人たちに他ならない。

文化芸術以外でも、ポカリスウェットのCMのような僕が嫌いなコンテンツでもそれはあったし、読売巨人軍Youtubeもそうだし、ユニクロのマスクや北米で店を閉めるスタバもそう。

 

僕が不調を言い訳に腰が重くなって向上心を後退させている間に世界中の人が全身全霊で生きている。その一歩を削り出している。どんなに小さくても石を積んでいる。皆。俺以外の皆。

 

久しぶりに友人からもらった小説を読んだ。

僕は。俺は

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自分でいうのもなんだけど、わりと人生の運が良い方だとは思う。

特に秀でた能力もない僕は周囲の人とモノのおかげでここまで来た。周囲の人とモノにただ乗りしてここまできた。28年を生きた。

だけど、いや当然今の僕には何もない。だって石を積んでないんだから。幻想は真実に勝てやしない。

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2020年12月から、自分の生活を管理するアプリを導入した。本来的には刹那を尊ぶタイプなので自分の生活を管理して改善するなどというのは僕の価値観に大きく反する。でもとりあえずやるしかないと思った。

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元々僕は

・自分が尊ぶ美しさより大事なものなどない

・長生きするというのは本来的に目的になりえない

みたいな価値観がわりと強く、これ以上のことはないと思った時に自分は死ぬんだろうと思っている。

それ故なのか、そうでないように見える生を(恐らく過剰に)嫌気している。そう見える生こそが、自分らしさこそが最強だと信じているから。

 

俺は自分が尊ぶ美しさを極めるために石を積んでいるのか?或いは自分が尊ぶ美しさを捨ててでも目の前のことに石を積んでいる世界に目を向けたか?その意味で俺は他者に粉骨砕身できているのか?

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ところで、2020年の11月、後輩と飲んだ。オフラインで会うのは3月以来だ。いつものように変形させられ続けるイデオロギーについて喋り続けてた。駒場キャンパスはコロナで閉鎖していた外部の人は入れないらしい。お互いの上京以来初めて会ったお店で朝まで喋った。あの日、朝日は見ていない。

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2020年は本当にどうしようもない一年だった。

でも、2021年はもっと良い一年にするよね。